【同居苦悩】一緒の風呂がイヤすぎる件 ~同居をすると子どもが風邪ひく~
久しぶりに義母とやりあいましたw
お題は【お風呂の湯量】について。
義両親同居、それも共同風呂の場合、
お風呂問題は非常にデリケートな死活問題です。
まさにヨーロッパの火薬庫。
大きな衝突こそないものの、これまで幾度とない小競り合いを経て、現在は張り詰めた冷戦状態。
正直に言って、母子家庭のバリバリ女系家族で育ったふじこは、肉体関係のない男性の後の風呂に入ったことが皆無でした。
おお、考えるだけでおぞましい・・・
今回はその苦悩を綴ります。
最も価値観の違いを実感するお風呂
家の中で最もプライベートな空間。
その一つがお風呂です。
エヴァでミサトさんも言っているように、「風呂は命の洗濯」です。
そのくらい大事な場所。
だからこそ各人の違い・こだわりも出てくる場所。
価値観の違いが凝縮されたスペースと痛感しています。
これが赤の他人である義両親と共有するなんて・・・
考えるだけで恐ろしいことですが、ふじこはまさにその状況なので非常に辛い。
それぞれの入浴事情
まず第一に、ふじこは物心ついた頃より母子家庭の女系家族だったため、実家には男がいない状態で18年間過ごしてきました。
ふじこ実家の入浴お作法
女系家族だったためか、母が掃除の手抜きをするために考えたためか、我が家ではなかなか厳しい入浴お作法が当然の常識になっていました。
- お風呂は常に清潔を保つべし。浴槽内・浴室の壁・床全てにおいて、己の汚れは取り除いて次の人に引き継ぐべし。
- 浴室はあたたかい状態を保つべし。順序よく入り、決して何人たりとも冷えた浴室に入ること勿れ。
- 湯はあたたかい状態を保つべし。ぬるめた場合はあたためて次の人に引き継ぐ、もしくはぬるめた旨申し出るべし。
- 湯量が減って次の人が寒い思いをすること勿れ。極力湯を減らさず次の人に引き継ぐことが作法なり。
次に入る人のことを考えて上記のマナーを守り、お互いに気持ちよく入浴できるようにしましょう、というのが基本理念でありました。
そのためふじこは幼少期から極力汚さないように注意し、自分が飛ばした泡や、湯に浮かんだ髪の毛などないか、出る前にチェックしてから浴室を後にしておりました。
さらにその上で後の人たちが少しでも気にならないよう、入浴剤を入れるのが必須でした。
これが当たり前の一般常識と考えていました。
義父の入浴事情
予想はしていましたが、最初義父の後に入った際、思わず叫びそうになりました。
く、くせえぇッ!!!!
ぼっけえ男くせえええぇぇぇェェ!!!!!!!!
何か、臭い・・・生臭い。
そして当たり前のように湯に浮かんだ残留物・・・
き、きったねええええぇェェッッ!!!!!!
これはしょうがないと言えばしょうがないですが、かなりの苦痛でしかないです。
正直、新たに風呂を入れ直したい!
しかしそんなことがまかり通らない、ドケチ・守銭奴の義母の目がある・・・
諦めて入るしかない状況を何とか小マシにするために、入浴剤投入です。
ニオイも汚れも多少は目立たない・・・
が、しかし残留物をすくい取ってから入るという恒例行事は3年経っても今なお健在です。
湯船に浸からない方法も考えましたが、夏場ならいざ知らず、冬となるとアイスエイジになる義実家の浴室では、通年でやり通すことが難しいのが現状です。
しかも娘と一緒となるとなおさら。
とにかく湯船に浸かることでより一層汚れそうなのは間違いないと確信。
通常は先に体を洗ってから湯船に浸かっていましたが、もう背に腹はかえられない。
最後の最後上がる前に体を洗い、すべての汚れを落としてから出るようになりました。
これではっきり実感したのは、肉体関係の有無がいかに左右するか。
そういう間柄では、多少の汚れ・ニオイが気にならないばかりか、そもそも気づかないことさえある。
そういう関係がない、まったく赤の他人のおっさんの後は強烈すぎる。
もとい、まさに他人の垢。
よく年頃の娘が「お父さんの後のお風呂イヤ!」という意味がわかりました。
でもそれは血のつながった親子。まだ諦めもつくでしょう。
義父の風呂事情を通じて、これがヒトという生物の、男女という種の違いか・・・と実感しています。
義母の入浴事情
上の理論でいけば、同じ女性である義母の後はまだマシだろうと思ったのが甘かった。
初めて彼女の後に入った際のこと・・・
え?何これ?
湯の量、少な・・・ッ!!!!
しかも、非常にぬるい・・・
まるで半身浴以下。洗濯で残り湯使った後ですか?みたいな湯量。
当時真冬だったので、凍えつつ娘と寝そべるようにして浴槽に入り、追い焚きしたのを覚えています。
義父を上回り、ナナメ上を行く義母の風呂事情に絶句しました。
その後も数回同じ現象が起こりました。
最初はなぜこんなに少ないのか?まるで謎でしたが、回を重ねるごとに見えてきたのは、義母がシャワーを一切使わず、風呂湯のみで洗っていること。
さすがドケチ・守銭奴の義母。あっぱれです。
正直言って、後の人のこと考えてほどほどに使ってください。
どうしても風呂湯使いたいなら、最後に入ってください。
という感じです。
なぜ後の人が入った瞬間に寒すぎることを気遣わないんだろうか・・・
もうむしろ後の人に対して失礼なレベルで湯がねえwwww
それからというもの、義母の後だとわかったら
【先に風呂湯量を確認 → 自分たちの入浴前に追い焚きして湯温と湯量を修正】
という、非常に煩わしい処置が恒例となりました。
しかしあんまりにも減りまくってるから、なかなかあったまらない&増えないんよね、普通にやっても。
さらに言うとめっちゃ泡とか飛び散りまくったまま構わず出てきてるんで、それの処理もしてほしいよね・・・本当は。
一人暮らしが長かった夫は、そんな義母のことさえ知らなかったようで、同様に「少ねえ!!!!」と憤っていました。
そして「今日もリュージュ滑ってきたw」と競技種目の態勢になぞらえて揶揄していました。
まとめ:同居をすると子どもが風邪ひく(桶屋理論)
風呂がこんなにも不便。
父の残留物を除去したり、義母の湯量コントロールしたり、雑務が多すぎる・・・
先にこういった処理をしてから娘と一緒に入るようにしていますが、それでもあまりにも湯量が少なすぎて、立った2歳児の尻まで届くかどうか・・・
「座って浸かれ」と言っても浸からないのが子ども。
当初、娘が風邪をひきました。
一概にそればかりとは言えませんが、いつも風呂で凍える思いをしていた時期のことです。
“同居によって、派生的に思いもよらない被害を被る”。
私はこれを “桶屋理論” と命名しました。
同居暮らしはまさに、風が吹けば桶屋が儲かる状態です。
同居では本当にこの “桶屋理論” が多いです。
とりあえず風呂問題については、我先に入ることに尽力しています。
しかし有閑老人は早いので、なかなか風呂闘争に勝てない日々。
今日も明日もこれからも、同居に終止符を打つまではずっと続いていくでしょう。。。